地域紹介:高石市【おかい訪問マッサージ】
大阪府の和泉市、高石市、泉大津市、岸和田市、堺市 及び その周辺地域(泉州地域の一部エリアです)
弊社【おかい訪問マッサージ】は、地域に密着して医療マッサージを提供し、寝たきりゼロを目指しています。また、各種健康保険を適用し、患者さんのつらい症状を改善して、日常生活を少しでも快適に過ごせる手助けをしたいと願っています。
地域に密着したアットホームな雰囲気で、患者さんや家族の皆様に接しています。私たちが密着している地域、大切にしている地域を『もっと知って欲しい』という想いから、大阪府高石市を紹介させて頂きます。
- <高石市の花>
-
- 《菊》
- 明るい陽光のもとに、けがれなく咲き誇る菊はいつの世にも人びとに親しまれ、いつくしまれてきた日本の代表的な名花のひとつです。
その寄り添った花弁は市民が力を合わせ住みよいまちを建設する姿をあらわし、そのさわやかな香りは文化の実りをおもわせ、そして美しいまちと明日への希望を象徴するがごとく気品に満ちあふれています。
この花を発展途上にあるわが高石市の市民の誇りと願いに一致するものとして、市の花に選定しました。(昭和46年11月22日制定)
- <高石市の木>
-
- 《松》
- 高石沿岸に連なる松林は、古来より多くの歌詠みに残され、天下にその名をはせた白砂青松の天然美は、なくなったとはいえ羽衣にわずかにその面影をとどめ、在りし日の美しさをしのばせています。
松の緑は人の心にやすらぎと親しみさを与え、高石市がいつまでもこの緑におおわれることを念願し、その象徴として市の木に選定しました。(昭和46年11月22日制定)
- <高石市の歩み>
-
- 「音に聞く高師浜の・・・」と詠われた高石の地は「高脚」とも書かれ、その昔からの白砂青松の美しい所として天下に知られ、持統天皇の御代世に各地に禁断漁猟区域が制定されたときには、「準河内国高脚海」と「高師浜」の地が基準とされたほどです。
- 上古に百済の博士、王仁(わに)がその一族の工芸技術家たちをつれて来朝した関係で、高石市大工村(現在の高師浜の一部)の村民の大半は大工を家業として、明治維新までは京都御所の内匠(たくみ)寮の支配下にありました。他の住民は農業・漁業を営み、風光明媚な農漁村として大きな盛衰も見ずに近世に至っています。
- 高石市はもと和泉の国大鳥郡に属し、江戸時代には幕府の直轄地で、庄屋が村務を扱っていましたが、明治5年に戸長制度が布かれ、堺県和泉国第1区・第5区に分割所属し、のち第2区第1小区と第4小区に改められました。
- 明治13年4月、第2連合戸長役場の管轄になり、同17年7月には高石南村、高石北村、今在家村と新村の4か村で第9戸長役場を設置。ここに初めて現在の高石市の基礎が確立され、同22年4月の町村制度で、高石村(人口3,307、世帯610)として地方自治の第一歩を印しました。また同29年4月、大鳥郡から泉北郡に変わりました。
- 明治34年3月には、葛の葉駅(現高石駅)が開設し、同37、38年の日露戦役の際に海浜地帯13万坪に俘虜(ふりょ)収容所が置かれました。撤去後、道路や下水溝を新設、良好な住宅地としての面目を備え、村勢は目ざましく進展し、大正4年1月には町制(人口4,809、世帯数935)を施行。
- 昭和28年4月に、東部に隣接する旧取石村を編入合併して、6.19平方キロメートルの町域を有するようになり、その後、人口の急増や臨海工業用地の造成などにより著しい発展をとげ、昭和41年11月1日に高石市(人口47,650、世帯数12,325)として発足しました。
- <高石市の人口>
- 平成19年11月1日現在 60,695人(男48.3% 女51.7%)
前期高齢者(65−74歳)…11.5%
後期高齢者(75歳以上)… 8.7%
(以上、高石市の市役所ホームページを参考にしています)
- <高石市出身の有名人>
-
- 【佐藤蛾次郎】(俳優)
- 1944年8月9日生。
『男はつらいよ』に柴又題経寺の寺男源吉(愛称:源公)役で出演し、最終作の1995年まで出演し続け、本シリーズに欠かせない存在となりました。
実息・佐藤亮太も俳優です。
それぞれ1日1回クリックして、応援して下さいね。クリックしてくれると順位が上がります。
ヨロシクお願いします。「医療マッサージを出張!おかい訪問マッサージ」のTOPページへ









